今年はいつまでも暑さが続き、相当身体に堪えてきていますが、
お盆のころに何故か昔のことを立て続けに思い出し、
時節柄と言えばそれまでですがやはり私も歳をとったのだなと
思わざるを得ないことがありました。
今を遡ること30数年、私は一人の女性とお付き合いをしていました。
彼女は天真爛漫、自由奔放でとても私の手におえる方ではございませんでした。
あるとき「ちょっとイタリアのお友達のところに遊びに行ってくるね」との言葉を残し、
数か月いなくなってしまいました。
彼女はアリタリア航空のパイロットと仲良くなったようで世界中あちこち飛びまわり、
ある日何事もなかったかのようにふらっと帰って来ました。
彼女の土産話のなかで特に面白かったのが「この間ニューヨークからローマ間のフライトで
とても面白い人に出会ったの!」というものです。
なんでもその方は黒人で髪が長く、いつもはサングラスをかけているけど
外したところを見たらとてもきれいな目をしていたそうで、声は低くガラガラ声ながら
フライトの間いろんなお話をしたそうです。
なんでもジャズをやっていてトランペットを吹いているらしいと聞いてピンときた私は
彼女をレコード店に連れて行ってあるジャケットを見せ「もしかしてこの人?」と聞くと
「そうそうこの人!よくわかったわね!」と。
あのインタビュー嫌いのこの人がフライトのあいだずっと話をするほど彼女は
アトラクティブだったのです。
どうでもよい話はさておき、そのころ私は初めて自分の名前が車検証に記載されたクルマを
持ったのです。
それまで父のクルマを勝手に乗り回していた私にとってそのクルマはまさに宝物でした。
今から思えばたいしたことはないデザインのドイツ車でしたが、
当時の私はこれほど美しいクルマはないと思いいつもピカピカに磨き上げ、
コンディションを保つのに腐心していました。
このクルマの輸入元は今はなくなってしまった東邦モーターズでした。
今はマンションになってしまいましたが、目黒川のそばに目黒工場があり、
なにか不具合を見つけると行っては工場長のS名さんに面倒を見てもらっていました。
今考えるとさぞかしお邪魔であったであろうと思い誠に申し訳ないのですが、
メカニックの方が修理してくれるのをそばでずうっと眺めているのがとても楽しく、
またいろいろな知識を得ることができました。
なにせこちらは学生でしたので、いくらでも時間はあったし、また自分のクルマがどのように
修理されるかということにとても興味があったのです。
S名さんも私を邪魔者扱いせず、メカニックの方に適切な指示を与え、
いつもどのような故障状態でそれをどのように修理をしているのか
事細かに教えてくださいました。
二十歳そこそこの若造の私をあくまでもお客様扱いして下さり、
今考えるとどうしてそこまで親切丁寧に接して下さったのか、
それが東邦モーターズの良さだったのか営業の、
のちに大出世されたT住さんともども大変お世話になりました。
ある日いつものように目黒工場に行くとS名さんがあらたまった口調で
「いままでいろいろとお世話になりましたが、このたび定年になり来月から
新車の整備部門に行くことになりました。
今後とも東邦モーターズをよろしくお願いします。有難うございました。」と挨拶をされ、
こちらとしてはえー?これから誰にいろいろ相談すればいいのー?と途方に暮れるとともに
こんな若造にまできちんとご挨拶を頂き、なんと言えばよいのか咄嗟に判断できず、
「こちらこそいろいろとお世話になりまして有難うございました」とお礼を述べるのが精いっぱいでした。
その後何度か目黒工場には修理をお願いしましたが、
そのうちに工場はなくなりマンションになってしまい、
本社工場に何度か顔を出してもS名さんがいない東邦モーターズに
何か物足りなさを覚え、次第に足が遠のき
いつしかそのクルマを手放してしまいました。
若者のクルマ離れがどうのこうの言われていますが、若者にとってクルマ以外に楽しいものが
昔に比べ溢れていることは事実ですが、あのS名さんみたいにいろいろと面倒を見てくれる方が
いなくなっているのも事実だと思い、面倒臭がらずに若い人の相手をしなくてはいけないんだなと
思わされたある夏の日の午後でした。